散文

上を向いて生きるのは苦しい。いつか自分の限界を思い知らされるから。どうしようもない天才に格の違いを思い知らされる。だから私は隣にいる透より少し先を行くことにした。でも透は飛び立ってしまった。

日常が壊れる。壊される。そんな破壊者から私の、私たちの日常を守るために私は動く。すべての根元たる愚か者は私にアイドルとしての魅力があるなどとのたまう。だから私はその勘違いを思い知らせるためにアイドルになった。

アイドルになってからは順調に物事が進んだ。進んでしまった。彼はどれだけ突き放そうとこっちの領域に足を踏み入れようとする。どんなに挑発しても私を切り離そうとしない。本当に愚かな人。何もわかっていない。わかってほしくない。わからせない。

 

どうしてあの人は私にそんなに期待を寄せるのか。なぜ私にファンができるのか。私には何もないのに。いつかその期待を裏切る時が来る。それなのにあの人は……本当に愚かな人。全てが台無しになる可能性しかない賭けができるなんてどうにかしてる。

 

息を大きく吸って、吐く。この感覚を私は知らなかった。あるいは遥か昔すぎて忘れていた。日常では得ることのできない蜜であって人生を狂わせる劇薬だ。

私は期待を裏切ってしまったはずだ。本当に?誰も私を責めたりしない。どころか私の代わりに泣いてくれる人がいる。どうして他人のことをそんなに思うことができるのだろうか。本当に愚かな人。

 

『もう一度、一緒に』彼の言葉に私は返事をする。ここで終わりにしたくはないから。

デレ7th大阪での歌唱曲予想メモ

かなり雑で浅いものが出来てしまった

あくまで個人の雑感なのでボコボコにしないでほしい

残ってる季節曲が扱いづらすぎるので6thの時にやってほしかったなぁってのと演者の負担を考えると6thでやるのがきつかったんだろうなぁって気持ちになってる

7th名古屋公演の影響でへたにソロ曲で縛りを受けずに考えられるのでとても良い

 

それぞれ他の曲の干渉とかあまり考えずに書いたので精査したらだいぶ違うものになるかもしれない

もっと深めたいのでなんかある人はツイッターでリプをくれるとありがたい

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担当と推しについて

アイマス特有の文化に担当というものがあるけど、推しと同義として考えてる人もいるし、担当を特別なものとしている人もいる。

私は後者

担当は二宮飛鳥と森久保乃々

推しは佐久間まゆ

総選挙はまゆにぶっぱするし担当と推しだと推しの方が愛が深いという気持ちがある。それでも推しは推しであって担当ではないのだ

この考え方は私が"痛い人間"であることが関わってくるけどその話はまた今度

 

今回は私の佐久間まゆについて話したい

私の中の佐久間まゆは私という人間によって歪められて本来の佐久間まゆとはやや離れた”佐久間まゆ”。本来の佐久間まゆって何なのかわかんないけど

佐久間まゆヤンデレじゃないって話でちょっとひと悶着あった

私は佐久間まゆヤンデレ派ではあるけど、私の”佐久間まゆ”はヤンデレというには病みがあまりにもなくなってしまった。

ヤンデレから進化して己の闇を何もかも喰らい尽くし制御下に置いた愛を謳う者、それが佐久間まゆ

かわいくあざとくもできるしクールにカッコよくもできる。絢爛七色の愛を表現するアイドルになった。

 

佐久間まゆにはカッコいい歌を歌ってほしかった。

それが叶ったのがTrust meであり6thLiveナゴヤドーム公演day1のガールズ・イン・ザ・フロンティア、現地でガルフロのイントロを聴きながら佐久間まゆ牧野由依)の名前を見たとき夢かと思った。公式と解釈が一致してしまったので感謝しかない

 

眠くなってきたし書くことが思いつかないのでオチは無いです。

Advent Calendarについては後日書いておきます。佐久間まゆと『CRIMSON LOVERS』の話です。曲の予習をしておくといいです。

強い少女、森久保乃々

森久保乃々は強い少女である。彼女自身はそう思ってはいないだろうが。

誰がそう言ったか。ヘレンと早坂美玲が言った。だが、彼女のことをよく知る人に尋ねれば皆きっと彼女は強い子だと言うだろう。

彼女をよく知らない人は一見してその気弱そうな見た目と実際に気弱な態度から彼女は弱いと思うだろう。嫌なことから逃げだす彼女の姿からはとても強い人間であることを連想できないだろう。

では、なぜ彼女は強い少女であると言われるのか。それは彼女の内に秘められたモノにある。

彼女は内向的な性格であるためその内側を見せることはめったにないが、そこにあるモノは自分の確固たる意志を持っている少女なのである。言い換えれば頑固。とてもそうは思えないが頑固という言葉が相応しい性格をしている。周囲に流されているように見えて実は周りに適応し、譲れない芯の部分はしっかりしているという点が彼女の強さである。この秘められた彼女の芯の部分、つまりセカイはポエム作りが趣味であることから、ポエムによってセカイの拡大が行われているのだろう。セカイは自分へ自信をもたらす。彼女は無意識的な自信と意識的な自分への不信が重なっているため”森久保乃々”というユニークなキャラクターになっているのだろう。それは他者から見た彼女への意外性に繋がり、その意外性はファンを増やす一つの要因となっている。

そんな彼女は自分の価値判断がしっかりしているため、決断に迫られれば自分が正しいと思える方へと進むことができる。本人は迫られるまではできないと言い続けるだろうが。

森久保乃々は自覚はないが強い少女なのである。

佐久間まゆと存在

佐久間まゆとプロデューサーの縁が切れたら"佐久間まゆ"は存在しなくなるのではないか。そんなことを考えながら佐久間まゆとプロデューサーとの関係性を考えてみる。

アイドル"佐久間まゆ"とは一人の少女がプロデューサーとの運命を果たすために作られた存在であった。込められた願いはあまりにバラバラであった。生まれたばかりの存在はあまりに脆く壊れやすいモノで少女はその縁が離れないように必死に結び付けていた。プロデューサーに自分を捧げ、自分以外のすべてを許容しないその姿はまさにヤンデレそのものであった。

しかしそんな存在の形は姿を変えていく。どんなに強く押しても存在は変わらないように見えたが、少女の失敗は相手からの思いを気づかせるきっかけとなって関係性が変わってきていることがたしかであった。そこにあったのは無理に縛らなくても壊れない確かなモノ。願いは混じり合って存在は強くなる。少女の願いはプロデューサーの願いと置き換わり始めていた。そこに現れていたのは以前のような自己犠牲と攻撃性ではなく、献身と共に未来を見たいという意思であった。アイドル"佐久間まゆ"の序章である。

 

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