自分語り

佐久間まゆという沼に触れ、沈みながら2年近くが過ぎた。

彼女のプロデューサーになることなんてできない。そんなことを最初は思っていた。今でも思っているのかもしれないがどうでもいいことだ。

彼女の歌を聴くことが喜びだった。彼女の姿を見ることが幸せだった。何より彼女の"愛"は私のセカイを大きく揺さぶった。私は彼女の担当ではなく"観測者"となった。彼女のセカイを識るのにプロデュースをするのは何か違うと感じ、彼女の担当になってしまうと見えるモノも見えなくなってしまいそうな気がしたからだ。

今の私が佐久間まゆの担当でないのはそんな感情を下敷きにしつつもなんとなくフィーリングで、という部分が大きい。

何故なのか。二宮飛鳥の担当であることが関係してるトカしてないトカ。次元の違う創作とか妄想とかの世界だと普通に担当してたりする。話が逸れるのでこの話はここまでとする。

 

 

第6回シンデレラガール総選挙において始まる前は二宮飛鳥にでも入れておくかと考えていたが、結局ほぼすべての票を佐久間まゆへと投票していた。佐久間まゆに大きな波が来ていたからそっちに流れたと当時の私が語っていたがたぶんそう。第7回もその流れを止めたくなかったから佐久間まゆへ投票していた。

佐久間まゆをシンデレラガールにしたかったのか?と問われれば、違うと答えるだろう。それはガラスの靴がいらないというわけではなく、むしろガラスの靴を履いた佐久間まゆはとても魅力的に見えるだろうが、それ以上に総選挙上位でCDを出すという方をメインに考えているからだ。CDが出る、すなわち新しい曲を歌わせてもらえるということ。前述のとおりそれは私にとってこれ以上ない喜びなのだ。そんな理由でもライバルに負けるのは悔しいということを第7回で味わったので、次もきっと佐久間まゆに投票することになるのだろう。

 

6ヵ月ほど前の頃、彼女のセカイを二宮飛鳥に感化された言葉で書き起こそうとした。結局、実際に書くまでに至らなかったが、今にして思えばまだ掘り下げが足りなかったので仕方なかったと思える部分もある。[オンリーユアキューピッド]と[魅惑のショウタイム]で見ることができた佐久間まゆはその解釈から外れ、とても強く輝いて見えた。当時の私は佐久間まゆというアイドルを、愛を謳う少女を舐めていたとしか思えない。今書くならばもっと違うモノになっているだろう。それが誰かに何か影響を与えるかはわからないが、いつかこの想いを言葉にしておきたいとも思う。

 

何かを書く場所を作った以上、いままで浮かんでは流してたモノを形として残しておくのもいいかなと思いつつもほとんど流しながら今日も適当に過ごしていく。

せっかくこじらせてるんだもの、傷は大きく深く作っておきたいよね